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東京地方裁判所 昭和42年(レ)153号 判決

控訴人 小堺亀次郎

訴訟代理人弁護士 上山太左久

被控訴人 松村国三

訴訟代理人弁護士 盛川康

同復代理人弁護士 池田清治

主文

一、原判決を次のとおり変更する。

二、被控訴人は控訴人に対し昭和四〇年八月一日以降同年一一月一二日まで、一ヶ月金、一二、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

三、控訴人のその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は第一、二番ともに控訴人の負担とする。

事実

一、(控訴の趣旨および答弁)

(一)  控訴人「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、昭和四〇年八月一日から建物明渡ずみに至るまで一ヶ月金一二、〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

(二)  被控訴人 控訴棄却の判決を求める。

二、(控訴人の請求原因)

(一)  控訴人の亡父小堺藤作は、その所有にかかる別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という。)を、昭和四年一二月二一日被控訴人に対し、期限の定めなく賃貸したが、昭和一三年四月二八日死亡したので、家督相続により控訴人が本件建物の所有権を取得するとともに、被控訴人に対する貸主の地位を承継した。

(二)  本件建物の賃料については、従来から両当事者合意のうえ増額してきたものであるが、昭和四〇年五月当時は一ヶ月金一二、〇〇〇円であった。

(三)  しかるに被控訴人は昭和四〇年八月から一〇月まで三ヶ月間の賃料を支払わないので控訴人は昭和四〇年一一月四日付の内容証明郵便をもって、被控訴人に対し、右書面の到達の日から一週間以内に、三ヶ月間の賃料金三六、〇〇〇円を東京都台東区聖天町所在の控訴人店舗に持参して支払うよう催告し、その支払なきときは本件賃貸借契約を解除する旨停止条件付の解除の意思表示をし、同書面は同月六日被控訴人に到達した。

(四)  しかし右催告期間内に賃料の支払がなかったので、本件賃貸借契約は同月一二日をもって終了したのであるが、被控訴人はなおも本件建物を占有しているから、控訴人は所有権に基づき被控訴人に対し本件建物の明渡を求め、昭和四〇年八月一日以降一一月一二日までの延滞賃料および同月一三日以降明渡ずみまでの使用損害金として、一ヶ月金一二、〇〇〇円の割合による金員の支払を求める。

三、(請求原因に対する被控訴人の答弁)

(一)  請求原因(一)(ただし控訴人の所有権取得原因が家督相続によるものか否かは知らないが、同人が本件建物の所有権を取得したことを含め)は、認める。

(二)  同(二)を認める。

(三)  同(三)のうち控訴人主張のとおりの内容証明郵便が到達したことは認める。

(四)  同(四)は争う。ただし被控訴人が本件建物を占有していることは認める。

四、(被控訴人の抗弁)

(一)  本件賃貸借契約における賃料の支払は、取立債務である。従って、控訴人からの取立がない以上、たとえ被控訴人が賃料の持参提供をしなくとも、賃料不払の責めを問われるすじあいはない。げんに控訴人は契約成立以来毎月あるいは数ヶ月まとめて、被控訴人方に賃料の取立に来ていたが、被控訴人は一回も持参したことがないのである。

(二)  被控訴人は昭和四〇年一一月六日控訴人から請求原因(三)記載の内容証明郵便を受取ったので、賃料持参を求める内容には不満であったが、控訴人の意向に沿うよう取計らうこととし、弁護士盛川康に依頼し、同月八日同弁護士の事務員山本ノブが催告指定の控訴人店舗に臨み、現実に金三六、〇〇〇円を提供した。ところがその受領を拒絶せられたので即日右の金額を供託した。よって、賃料不払を理由とする解除は無効である。

(三)  本件建物は戦火を免れた建物であって、地代家賃統制令の適用があるものである。しかし控訴人はこれを無視して矢つぎ早やに賃料の増額をしてきた。そこで被控訴人としても紛争を避けるため隠忍自重し、増額の要求に応じ賃料を支払ってきたのである(なお被控訴人は前記の約定賃料額が統制令に反し無効であるという主張はしない)。しかるに控訴人はこの間一度も建物の修繕、畳替、屋根修理等の貸主の義務を尽さず、あまつさえ慣行的に行っていた賃料の取立をも一方的に中止する旨通告して来、被控訴人がこれに応じないと見るや、ささいなことを取上げて契約の解除をして来たのであって、この解除の意思表示は被控訴人に隙あらば苦しめようとするもので、信義の原則に反し無効である。

五、(抗弁に対する控訴人の答弁)

(一)  抗弁(一)のうち、賃料支払が取立債務であるとの点は否認する。従来控訴人が取立てていたことは認めるが、これは、被控訴人が持参しないのでやむをえず取立てに行っていたにすぎない。

(二)  同(二)のうち訴外山本ノブが賃料を持参提供した事実および控訴人がその受領を拒絶した事実は否認する。被控訴人は控訴人から賃料を持参提供するよう申入れたのに、これを無視して供託をしたのである。

(三)  賃料の値上については適当な期間をおいて行っていたのであり、矢つぎ早やに行ったものではない。家屋の修繕等を行わなかったことは認めるが、被控訴人からこの点の申入れがなく同人が勝手に手を加えていたのである。被控訴人は法律上持参債務の原則があるのに賃料を持参せず、また過去において滞納もあったのであり、さらに催告書を受取りながら、これを無視して提供しなかったのであるから解除は当然であって有効である。

六、(立証)≪省略≫

理由

(一)  当事者間に争いなき事実および≪証拠省略≫によれば、請求原因(一)の事実が認められ、請求原因(二)および(三)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  そこで被控訴人が請求原因(三)記載の催告を受けた後、抗弁(二)記載のとおり、訴外山本ノブにより賃料が持参提供されたか否かについて検討すると、持参提供を認めるに足る証拠がない。

≪証拠省略≫によると、右の催告があった日の二日後である昭和四〇年一一月八日、被控訴人から支払うべき賃料として金三六、〇〇〇円を受取った弁護士盛川康は、その事務員である山本ノブに右金賃を控訴人店舗へ持参して支払うよう命じたところ、同人は同日の午前九時少し前頃に右店舗へ行き、女子事務員に受領を求めたが、控訴人は千葉県の中山に居住しており、店舗に出勤するのは午前九時か一〇時になるといわれ、控訴人がいない以上受取れないと受領を拒絶されたので、そのまま金員を渡さずに帰り、即日供託の手続をとったというのである。しかしながら、≪証拠省略≫によると、右店舗の女子事務員らは、社長である控訴人がいないときでも、受領書を発行して賃料等の受領をしているというのであり、これを一概に否定し去ることは困難であるばかりか、原審法廷における控訴人店舗の女子事務員と右の山本との対面によっても、山本があったという女子事務員が判明しないこと(当番における証人小堺セキの証言により認める)を考えると、前記の山本らの供述をたやすく措信することができない。

以上のほか賃料の持参提供を認めるに足る証拠はないので、この点について立証の責任を負担する被控訴人に不利に判断するほかはない。

(三)  次に本件賃貸借における賃料の支払が取立債務であったか否かについて判断すると、取立債務とは認め難い。

原審における被控訴人本人尋問の結果によると、本件賃貸借契約成立以来、賃借人である被控訴人が賃料を持参したことはなく、賃貸人である控訴人の方で毎月または二、三ヶ月まとめて取立てていたことが認められる。この事実によると本件賃貸借においては、民法の原則に反して賃料の支払が取立債務であったのではないかという考えも出て来よう。しかしながら賃料の支払が取立債務となるためには、当事者間で、民法の持参債務の原則にかかわらず取立債務とする旨、明示あるいは黙示の約定がなされねばならないのであり、単に貸主が長期間賃料の取立をしていたというだけでは、それが貸主の単なる好意によってなされていたということもありうるから、右の黙示の約定も認めることはできないのである。被控訴人の前記の供述によると取立債務とする旨の明示の約定はなかったものと確認できまた右の黙示の約定を認めるべき事情も発見できない。

よって賃料の支払が取立債務であるという被控訴人の主張は、従来から賃料が取立てられていたという事実を、そのまま取立債務という法律上の効果に結びつけたものというほかはなく、原審における被控訴人の供述を検討すれば右の主張はむしろ法律の誤解によるものと認めるのが相当であって採用し難い。

四、してみると、昭和四〇年八月から同年一〇月までの賃料不払により、本件賃貸借は解除されたものと、一応考えられるけれども、被控訴人は右の解除が信義則に反すると主張するのでこの点を検討する。

さきに述べた通り、本件賃貸借は昭和四年から継続して来たものであるところ≪証拠省略≫によると昭和四〇年初めまで二〇数年間にわたり、一貫して、賃貸人(控訴人)において賃料を取立てていたこと、この間何回となく賃料は増額され、昭和三五年一月から一ヶ月金九、〇〇〇円となったこと、また本件家屋は本来統制令の適用のある家屋であるが、後記賃料値上げ問題のおきる迄は、被控訴人は統制令を持ち出すことなく、二〇数年間円滑に賃料を支払ってきたこと、以上の事実が認められる。

しかるに何故に前記の賃料不払が生じたものかその由来を検討するに、≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。すなわち、控訴人は昭和三八年三月頃控訴人に賃料値上げを申入れ、双方合意で不動産鑑定士に依頼して賃料を評価させたところ、被控訴人の予想に反し、一ヶ月金一五、四八五円という高額が出たため、結局昭和三九年一月から賃料を一ヶ月一二、〇〇〇円とすることに落着いた。しかして、昭和四〇年春に至り、再び控訴人より賃料の値上げが持出されたが、被控訴人はこの申出に対し、本件家屋には本来統制令の適用があるけれども従来これを持出すことなく賃料を支払って来たのに、一年そこそこで二割以上の値上げをし、二〇数年来賃借している被控訴人と、昭和三〇年から賃借している隣家の賃借人とを同一に取扱って、同額の賃料を要求する控訴人の態度に不満を持ち、一五、四八五円の値上げに反対したため、昭和四〇年五月分以降の賃料の未払いを生じた。そこで控訴人は上山弁護士を通じ、内容証明郵便で同年七月九日、「同年八月一日以降賃料を一ヶ月金一五、四八五円に増額し、また賃貸期間を被控訴人一代限りとする」旨通告し、併せて同年五、六および七月分賃料を従来の金額で、即ち合計三六、〇〇〇円を持参支払うよう催告したところ、被控訴人は盛川弁護士と相談し、同弁護士を通じて同月一六日右三ヶ月分の賃料計金三六、〇〇〇円を供託したうえ、さらに控訴人に対し同月二〇日付書面により、控訴人が取立にこないので供託した旨、また従来統制額超過家賃を甘受して来たが、今後は適正賃料でなければ応じない旨を回答した。これに対し上山弁護士はさらに「賃料値上げをしないから、賃貸借期間を昭和四三年七月二二日までとする」旨一方的に申入れるとともに、「本件賃料債務は法律上持参債務であるから、供託金を取戻して未払賃料を持参又は送金するよう」注意したが、被控訴人はこれを黙殺し、同年八、九および一〇月分の賃料を支払わなかった。そこで控訴人は前記の通り昭和四〇年一一月六日到達の書面で被控訴人に対し、催告および停止条件付契約解除の意思表示をしたところ、控訴人は盛川弁護士と相談したうえ、右三ヶ月分の賃料金三六、〇〇〇円を弁済のため同弁護士に交付し、また同弁護士において同年一一年八日催告期間内にこれを供託したものであった。以上の事実を認めることができる。

これを要するに、被控訴人は、控訴人の代理人上山弁護士より「本件賃料は法律上持参債務であるから、供託をせずに持参または送金するよう」注意されたのに拘らず、賃料を提供せずに弁済供託したのであるから、被控訴人に落度のあることは否定できない。

しかし被控訴人が当時統制賃料のいかんにかかわらず一ヶ月金一二、〇〇〇円の賃料を支払う意思と能力とを持っていたことは、前認定事実から明白であって、その支払を延ばすため「取立債務」と言いがかりをつけたものでなく、ただ控訴人側が二〇数年間にわたり一貫して賃料を取立てていた事実に照らし、取立払いと信じこんだものであって恕すべき事情があり、むしろ被控訴人が法律専門家たる弁護士に相談したのに、弁護士が万全の措置をとらなかったことが考慮されねばならない。そして永年にわたり賃料は円滑に支払われていたこと、昭和四〇年の金一五、四八五円の値上げ問題が本件の賃料未納を生じた発端であり、結局増額請求は控訴人がこれを撤回したものであるが、若し初めからこの無駄な増額請求を行わなかったならば、感情の疎隔を来たすこともなく、従来通り金一二、〇〇〇円の賃料は円滑に支払われたであろうと推察されること、しかも右の金一五、四八五円という金額は、≪証拠省略≫によると、昭和三八年三月当時の評価であるが、建物の価格の算定方法に問題があり(右鑑定書は、建物の現在価を計算するにあたり、再建築価格から一年当り減価償却額に残存耐用年数を乗じた額を差し引いているが、差し引くべき額は、右の減価償却額に建築時よりの経過年数を乗じた額であるべきである)高額にすぎること、土地(借地権)投資の利廻りを年六分の二分の一としているが、本件の如く昭和四年来引続き賃借している事例にあっては、これまた高率にすぎると考えられ、昭和三八年三月当時としては妥当な金額とは認められないので、被控訴人が当時これに反対したことは、これを責めるに足りないこと、さらに地価その他物価の騰貴により昭和四〇年七月当持一ヶ月金一五、四八五円の賃料は一般的にみて不当とは思われないが、本件建物が本来統制令の適用のある建物であることを考えると、被控訴人がこれに反対したことをもって一概に不当であると断じきることはできないこと。これらの事情も考慮に入れるべきである。

以上の諸点を勘案すると、被控訴人より相談を受けた弁護士が供託前に提供しなかった一事をとらえ、他の事情を無視して解除の効果を肯定することは、信義公平の原則に反するものというべきである。

(五)  叙上認定したところによれば、本件賃貸借が昭和四〇年一一月一二日に終了したという控訴人の主張は失当であり、従ってこのことを前提とする本件建物の明渡請求および損害金の請求は理由がないが、昭和四〇年八月一日以降同年一一月一二日(控訴人主張の契約終了日)までの賃料は、被控訴人において前記認定の賃料一ヶ月金一二、〇〇〇円の割合により支払うべき義務がある(被控訴人のした供託は無効である)。

よって、本件建物の明渡と昭和四〇年一一月一三日以降の使用損害金の支払を求める控訴人の請求を、棄却した原判決は相当であるが、前述の期間の賃料の支払請求までも棄却した原判決は相当でないので、原判決を主文のとおり変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第九二条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 室伏壮一郎 裁判官 浅生重機 裁判官篠清は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 室伏壮一郎)

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